点灯と明滅

交歓日記|Twitter @taka_1_4

よそ行きの部屋(もっちー)

引き出しの中にはいくつもの箱があって、その中の一つ、マールブランシュ京都北山のお濃茶ラングドシャの化粧箱、白い蓋を開けると、私が今までもらった大事な手紙達が入っている。底には、毎年誕生日に届いていた京橋の消印付きの絵葉書(なぜか八歳の頃のものしかない)、父親がフィレンツェから送ってきたかしこまったようなポストカードがあって、上の方には前に勤めていた保育園の子どもたちから、辞めるときにもらったおてがみが重なっている。勿論、24区の大入り袋もこの中だ。

時々、子どもからの手紙を読み返す。その中には「ご連絡お待ちしてます。」の文字と共に、連絡先が記されているものもある。子どもに会いたい反面、これは本当に連絡していいものなのか。いや普通はしないよな。と言うやりとりが毎回頭の中で起きている。会いたいんだけど。みんな元気なのかという確認すら取れない世の中。悲しい。

 

今、人生の中で部屋が一番綺麗かもしれない。一月の中頃に入ったある男の子の部屋は、築年数が大分経っているアパートをリノベーションしたもので、2LKというちょうどいい広さ。小さい玄関に靴を置くと、四角く整ったリビングキッチンが私を迎える。正面には縁の色だけ紺色の真っ白な襖が広がっており、それがどうしようもなく好きな色といい形、質感で、行ったことはないが西瓜糖というBARをなんとなく思い起こさせるものだった。

襖を開けると、つけっぱなしの暖房で肌がカサカサとする。無駄に文学と芸術的なものだけを置いて部屋の隅に埃が溜まったままの部屋を見た事があるが、ここはそうではなかった。たまたま、その部屋にあるベッドを覆っていた毛足の長い毛布は、私が持っているものと色違いの毛布だった。が、あまりにも洗練されたその部屋と襖を前にして、あ、私もこれ持ってるよ、なんて言うのは恥ずかしくて言えない。

あれから、お陰で自室の整頓を保つ事ができている。自分でも驚くほどに。それくらい、あの部屋を忘れる事ができていなかった。よくいえば生活感のない、悪く言えば没個性的な、そんな部屋の薄暗さがとても心地よい。今も、気持ちだけが溶けそうになるくらい、微睡んでしまう。