点灯と明滅

交歓日記|Twitter @taka_1_4

一夜一夜に人見頃(どら)

今夜は、ネオワイズ彗星というものを観測する絶好のチャンスらしかった。

20時前から21時頃までに北西の空に見えるとどこかのニュースで見たから、家の屋上に登って探してみた。この季節は蚊がたくさんいるから、部屋着のワンピースにニーハイを履いて、さらに長ズボンを履いて、さらに長袖の上着をしっかり着て、万全の対策をとって臨んだ。それだけ気合を入れたのだから、見えてほしかった。空は微妙に曇っていて、かつ街の明かりが多いからか微妙に明るくて、金星しか見えなかった。

諦めきれなくて、21時からのドラマが始まるギリギリまで、空を眺めながらぼんやりと待っていた。もちろん、待っても彗星はやって来なかったけど。

最近は雨ばかりだし、日が落ちてから家を出ることがほとんどなかったから、一応星の見える空を見たのはひさしぶりで、少し感傷に浸ってしまった。

次にネオワイズ彗星が近づくのは、5000年以上先だと、どこかのニュースで見た。5000年っていうのが、私にとってはあまりに途方もなさすぎた一方で、宇宙にとっては全然たいしたことのない取るに足らない時間で、その差を自覚すると少しおもしろいような、でもつらいような気持ちにもなった。

5000年先、私は必ず、生きていない。5000年先の5000年前である今を生きている私の痕跡も、5000年先には跡形もなくなっている。5000年先も地球が存在していて、人類もまた存在し続けているという前提のもとで、生物学的に考えれば、もし私が子どもを産みその子どももまた子どもを産み、それが5000年先まで奇跡的に続けられたなら、私のDNAは遺り、つまり私の痕跡が残ることになる。それでもやっぱり、私が望む形の「跡形」は残っていない。残ることはない。それが少しさみしい気がする。

以前のどうぶつの森では、自分で星をつなげて星座を作って、名前をつけることができた。今思えばあれは、すごくロマンチックな営みだったし、私が今一番やりたいことなのかもしれない。