点灯と明滅

交歓日記|Twitter @taka_1_4

深夜行(もっちー)

夜に拓かれた場所が欲しい。本屋、喫茶店、チェーンのファミレス、花屋。どれも住宅街の最寄駅でやるには採算が取れない。それでも、歓楽街の喧騒の中の夜と、生活の夜では全く意味合いが異なる。

去年の冬、私はどこにも行けなくなった。そんな事を考えながら、次の日の仕事を無視して地元の22時閉店のカフェに座っている。22時が過ぎれば、ここにはいられない。そうなると次は向かいのファミレスへ向かう。ここなら深夜2時までいることができる。

どこにも行けなくなる人間の夜は、2時で終わるはずがないのだ。次の寄る方は川沿いのベンチで、ここで持ち歩いていた分厚い本を取り出して気の済むまで過ごす。確かこの冬は例年より暖かかったのだが、真夜中というのは流石に寒く、皮膚が赤くひりつき、薄皮が剥け始め、少しでも動くと骨がみしみしと鳴る。

 

この頃、京都を題材にした作品ばかり読んでいたのは単純に京都に行きたかったから。前にもどこかで話したが、本当は京都じゃなくてもよくて、自分が一人で新宿を歩くのと同じように歩けて、普段とかけ離れた街ならどこでもいい。京都に行きたいのではなく、今すぐここから離れたかった。東京以外の都市で歩けるところは、京都市だけだった。

ある日の20時。その日は雨が降っていて、とにかくどうしようもなかった。丁度京都に行く本も読み終えてしまい、またその作品が途轍もなく面白かったのだ。どこにも行けないどころか、自分の場所に帰ってきてしまった。なんかもうひたすら何もかもが嫌だから雨が降っているのを良いことに、傘の中の私は自室にいる時と同じように自由だった。21時31分品川発京都行き最終。これに乗ったら、何もかも捨てていいよ、そんな気がした。

結局、なけなしの理性で手持ちが心許ない事を思い出した。あの日京都に行っていたら、たぶん、全部が終わっていたような気がする。今となってはコロナで行けなくなってしまう最後のチャンスだったかなとも、少し惜しい気持ちにもなるが。

11月に生まれたばかりの子を見て、そんな事を思い出していた。