点灯と明滅

交歓日記|Twitter @taka_1_4

夏影(こうせき)

 消灯された部屋みたいな天気でちっともたのしくならないので、正午過ぎ、庭に出てみたけれど、すぐ室内に戻る。風が吹くとき、奪いとられる体温より、運ばれてくる草のいきれ、人のいきれ、猫や犬や虫のざわつく気配に意識を向けていられるような、暑い夏がはやく来ればいいのに。庭にいた一時間くらいのあいだに、隣の家のご夫婦を訪ねてきたおじさんの話をぬすみ聞きした。流行りのオンライン飲み会なんてねえ、ちっとも楽しくないよ。とか、新作出したよ、LINEスタンプの。商売目的でやってんじゃないけどね。仲間内で面白がって、それでおわり。とか言っていた。寒いと中々ゆかいな気持ちになれない。夏が来たら、魔法瓶にアイスの実を用意して、ペットボトルの温い水を口に含み、サングラスをかけて、指に伝う汗で紙を湿らせながら庭で読書がしたい。

 

 そういえば、信濃追分の山は、樹木が丈高く茂っていて、真昼であってもなお昏く、其処此処がセピア調に見えた。空き教室とおなじ色合いだと思った。連れ立って散策していると、友だちのお母さんが漆の木を指して、「さわちゃん、漆って知ってる?」と言い、その木の樹脂が「わじまぬり」という工芸品に塗料として用いられること、生のままの漆に触ると肌がかぶれること、生でなくても、作られて間もない漆器だとかぶれることがあることを教えてくれた。あのときわたしは幾つだったんだろう。うちの別荘に遊びに来ない、と初めて誘われたのは確か、小学五年生のときのことで、それから毎年、中学二年生くらいまで、夏の数日間を彼女の家の別荘がある軽井沢の追分で過ごしていた。別荘には黒電話や昔の漫画雑誌が置いてあって、昼下がりにはみんなでダイヤモンドゲームをして遊んだりした。山から下りて少し歩いたところに駄菓子屋さんがあり、溶かすとコーラになる粉のジュースや、のしいか、野いちごの小道という名前のキャンディ、金平糖を買ってもらった覚えがある。時間が止まっているような場所だった。帰りは父に車で迎えにきてもらうことが多かったけれど、いちどだけ、新幹線に乗って帰ったことがある。新幹線の切符をとんでもなく高いものだと思っていたから、券売機に並ぶ母の姿を見ながらどきどきしていた。待合室で夕飯に駅弁(峠の釜めし)を食べ、煌々と明るい車内に乗り込む。座席の折りたたみ式テーブルをめずらしがりながら、そのつるつるした平面に買ってもらった駄菓子をならべた。金平糖の水色や黄色や桃色。窓の外は見なかった。たぶん、真っ暗でおもしろくなかったのだろう。黒漆を塗りこめたような闇の色。夜空の遥か下を走っていく新幹線のなかで砂糖の星々をしげしげとながめている。