点灯と明滅

交歓日記|Twitter @taka_1_4

猿ヶ京(こうせき)

 夜のバスに乗って、群馬の山の奥へ奥へと向かっていた。ビロードの座席は汚れとすり切れでざらついている。乗客はすくなく、薄白い車内灯の下、皆が押し黙っている。わたしはその日の昼間、地面に腰を下ろし梅林を見上げていたときのことを思いだした。背が低い品種だったのか、座っていても手を伸ばせば届くくらいの距離に花が在った。辺り一帯に降り注ぐ、ねむり粉のようなねっとりとした梅の香がすべての生き物の気配を圧していた。顔を上に向けると、絹積雲のような、白く小さな花の群れがおびただしく視界を埋め尽くし、その隙間からまた真っ白な曇天が見えた。無限に、合わせ鏡のように、陰影のない白が奥へ奥へと続いていて、ぽっかりした気持ちになった。静かにバスが走っていく。らせん階段のようにずっと曲がって上っていく山道から見下ろすと、山の斜面に真っ黒な木々が下へ下へと伸びるように鬱蒼と生い茂っていて、麓はまるで洞のようだった。後閑駅から猿ヶ京まで40分、寝て過ごそうと思っていたけれど、既に夢の中に居るような気分がしていてうまく眠れない。目覚めてまだ夢を見ていることはあっても、夢を見ながら眠ってまた夢を見ることはできないんだろうか。三月の山の夜はしっとりした、しめやかな外気に満たされている。わたしは無抵抗に暗い方へ暗い方へと運ばれていく。なんだか内田百閒の小説世界に迷い込んだような心地がした。